韓国留学

韓国留学体験記

 大学留学および貿易会社勤務経験者

S.Kさん(福井県出身)

 現在ソウル在住8年目で韓国人の旦那様とかわいい二人のお子さんのお母さんでもあるS.Kさんに、大学時代や韓国の貿易会社に勤務をしていたころのお話を伺いました。

今日はどうぞよろしくお願いします。ところで早速なのですが、いつごろ留学なさったんですか?

ちょうど1998年のIMFと呼ばれる韓国経済が危機に落ちた年に渡韓しました。

あのころは、両替のレートが悪かったですよね。

そうなんですよ。当時わたしは1年間の滞在を予定していたのにもかかわらず予算が60万円しかなかったんです。それでともかく安く生活できる都市を探すのに苦労しました。レートもたしか100ウォンが70円台くらいだったと記憶してます。

たしかに当時でも60万円で1年は結構きついですよね。
ところで、韓国の大学に留学しようと思ったきっかけは何ですか?

実はある事件がきっかけなんです(笑)

事件ですか?

はい、わたしは高校では中国語学科だったんですが、その後は、故郷にある福井県立大学の経済学科に入学してゼミでは中国経済をとっていたんです。
ところが、卒業後はかなりの就職難でいい就職先があまりなかったんですよ。それですぐに就職せずに中国に留学したんですが、当時の学生寮は韓国人留学生が半分くらいを占めていてはじめのうちは何事もなく平穏に過ごしていたんです。
で、ある日寮にいつものようにいると、なんと初対面の韓国の男子留学生から「おれは日本人が嫌いだ」っていきなり言われたんですね。初対面ですよ!本当にびっくりしました。別にその人に何かしたというわけでもないんですけどね。。。で、その時はとにかくびっくりしたと同時に少しムカムカしながらも、「なんでこの人はどうして初対面のわたしにそんなことを言うんだろう。。」と疑問に思うようになったんです。

その学生さんはSさんに気があったんじゃないんですか(笑)

いやー、そうじゃないと思いますよ。そうだったのかな(笑)ともかく初対面の人からそんなことを言われてショックでした。それで直接韓国という国に行って自分の目でなぜその学生がそんなことを言ったのかを確かめてみたくなったんです。

なるほど。それですぐに渡韓したんですか。

はい、ビザのこともあったので一度中国から日本に帰国して計画を練りました。

大学はどのようにして決めたんですか?

滞在する期間は1年間と決めていたので、最初はソウルの語学学校に通おうかと考えていたんです。でもソウルは物価も高いし、何よりも60万円の予算しかなかったのでどう考えても1年の滞在は無理があったんですね。
で、ある日母校がカンヌンにある国立大学と姉妹校であることを知ったので、思い切ってコンタクトをとってみたんです。しかもいろいろ調べていくうちにカンヌンは田舎なので物価もソウルに比べて安いし、国立大学なので寮も格安ということがわかり、大学側としても「ぜひ、日本人に留学してもらえば日本語を勉強している学生の励みになる」ということですぐに編入という形で入学させてくれることが決まりました。

専攻は何になさったんですか?

日本語学科です。とにかく韓国に1年間滞在しながら韓国語を学ぶのが目的だったのであまり専攻にはこだわりはなかったんです。大学に問い合わせをしたときにも「日本語学科にいれば、日本人に興味を示す学生がたくさんいるから友達もすぐにできて韓国語なんて自然に憶えるよ」と言われました(笑)

今は韓国ブームの影響もあって日本人の留学生も増えていますけど、当時はあまりいなかったですものね。

そうなんですよ。結局カンヌン大学校の日本語学科に編入したんですが、当時わたしの周りには中国人とわたしの3人しか留学生はいませんでした。

3人ですか。少ないですね。他の韓国人学生とはすぐにコミュニケーションがとれましたか?

はい、もともとわたしは中国語はしゃべれたので、はじめのうちは同じ留学生仲間の中国人の友達が中国語で通訳してくれたり、日本語学科の学生たちもすぐにわたしに興味をもってくれて、わかりやすい韓国語でいろいろとサポートしてくれました。

なるほど。日本語、韓国語、中国語が飛び交っていたんですね。ところでどのくらいで相手の話している韓国語を理解できるようになりましたか?

だいたいなんですが、2週間くらいたったころから相手の言っていることがだんだんわかるようになってきました。もちろん、難しい内容は無理ですよ。あくまでも日常的な簡単なことなんですが。

2週間ですか。上達が早いですね。秘訣はなんですか?

とにかく周りに日本人がいなかったので朝から晩までずっと韓国語漬だったんです。それと、これはあくまでもわたしの考えなんですが、わたしの場合は、中国語が元々できたので同じ漢字語を多く使っている韓国語は発音も中国語に近いものが多いせいか、すぐにわかるようになりました。

語学堂に通わずに現地でまさに生きた韓国語を学んだんですね。
ところで、滞在中はなにか困ったことはありませんでしたか?

ありますよ。たくさん。今でもよく憶えているのが寮でのことなんですが、門限が10時だったんですよ。友達と一緒に遊んだりしていたら10時なんてすぐじゃないですか。でも10時までに寮に戻らないと門を閉められてしまって中に入れないんです。それがちょっと。。。

たしかに 遊びたい盛りの若い人には10時は早いですよね。門限を過ぎてしまったときはどうしたんですか?

いつも警備員さんにこっそりお願いをして中に入れてもらっていました(笑)

いい警備員さんでよかったですね。ほかには何か困ったことはありましたか?

そうですね。これも寮での出来事なんですが、シャワーの温水が夜11時までしか使えないんです。だから11時以降にシャワーを浴びる時には水しかでなくて本当に困りました。

たしかに寮ですと団体生活ですからいろいろ決まりがあってたいへんですよね。では今度は韓国に留学してよかったと思った出来事があれば教えて下さい。

はい。ある日バスに乗っていたらバス酔いをして気持ち悪くなってしまったんです。それで仕方なくバスを降りて道端で座っていたら通り過ぎる人がみんな声をかけてくれるんです。「大丈夫?」「病院に連れていってあげようか」とか。。。。日本にいらた多分そのまま素通りしてしまうと思うんですが、みんなが気にしてくれてとてもうれしかったのを憶えています。

それはいいお話ですね。たしかに韓国の人は情があって親切な人がたくさんいますよね。ところで実際に韓国に来て、なぜ中国で出会った韓国人留学生が初対面でがあんなことを言ったのか、理解できましたか?

そうですね。まあ、彼の性格の問題もあったのかもしれませんが、その後カンヌンの街で日本語を話していると40代くらいのおじさんに歴史の問題のことでからまれてしまったことがあるんです。一方的に自分の両親が日本軍に殺されたとかいう話を延々とされました。学校で一緒に勉強している友達は決してそういう話はしないんですけど、やっぱりこうして今でも親族が日本軍に殺されたという人もたくさんいるので、、、、、日本人としては複雑な気持ちですね。

確かにデリケートな問題なのででどう答えるべきか難しいですよね。ところで大学留学後はどうなさったんですか?

わたしの場合は編入と言う形で1年大学に通っていたので、あと1年通えば卒業もできたんですね。でももう既に日本で大学は卒業していたのであまり韓国の大学の卒業には拘らなかったんです。それで1年の留学が終了した次点で退学届を出しました。

もったいない気もしますよね。

たしかにそうなんですが、ともかくあのときは自分の予算が限られていたので、もう一年留学生として滞在するのは困難だったんです。それに最初の目的だった韓国語も1年経ったころにはほとんどマスターできたのでもういいかなと。。。でも韓国に居たかったのでそのまま就職しました。

最初の予定を伸ばしてもっと韓国に滞在したくなった理由はなんですか?

実はこれだけが理由じゃないんですが、当時今の主人と付き合いだしていたんです(笑)

そうだったんですね。もしよろしかったら、どうやって今の御主人と出会ったのか教えていただけますか(笑)

あ、はい。実は主人はソウルの大学に通っていたんですが、兵役を終えて復学するタイミングを合わせるのに半月ほど自由な時間があったんです。それで当時故郷に休暇を兼ねて戻ってきていて、わたしとは現地にある日本語学院の主催するパーティーで知り合いました。

なるほどそうだったんですか。ソウルの大学に通っていたのにカンヌンで出会うなんてまさに運命だったんですね。ともかくそれでは帰国したくないですよね(笑)で、就職活動はどのようにしたんですか?

インターネットサイトを通じてです。ソウルにある旅行会社、日本語学校、貿易会社の3社の面接を受けにソウルに行きました。

貿易会社に勤務していたとのことですが、何か理由はありますか?

結局3社とも合格したんですが、旅行会社と日本語学校はなんとなく自分の性格には合わない気がしたので最終的に貿易会社に決めました。

実際に韓国の貿易会社で働いてみてどうでしたか?実際に働いてみてよかったことや難しかったことなどがあったら教えて下さい。

わたしは学生時代はずっとアルバイトをしてきたんですが、就職したのは今回が初めてでした。だからとにかくあの会社ではいろいろなことを学ばせてもらいました。特によかった点のは日本や中国との貿易実務が中心の仕事だったので自分の語学力を生かせたという点だと思います。韓国語も会社で働くようになってから更にレベルアップできましたし、お給料も新卒で当時120万ウォンほど頂いたのですが、それは当時韓国の4年生大学を出た男子学生のお給料よりも高かったんですね。反対にたいへんだったのはとにかく社長がワンマンスタイルだったことですね。よく韓国にドラマに出てきそうな(笑)とにかくうちの会社は従業員が8人の小さい会社だったんですが、日本語がしゃべれるのが社長だけだったんですよ。それでなんかおかしいなと思っても社長の言うことは絶対という雰囲気だったんで無条件に従わないといけない雰囲気で。。。とにかく忙しかったです。月に多いときで3回くらい日本と韓国を行ったり来たりしたこともあります。

海外出張が月に3回とはかなりハードですね。残業も多かったんですか?

はい、本当は9時出勤で6時には退社できるはずなんですが、ほぼ毎日残業で帰るのは7時半とか8時でした。もちろん残業代は出ませんよ。

日本と違ってそういう会社は韓国にまだまだ多いですものね。最後にこれから渡韓する予定の人に先輩として一言アドバイスしていただけませんか?

そうですね。わたしが留学していたのはかなり前の話なので参考になるかどうかわからないですが、とにかく韓国で暮らしているとどうしても日本人には理解しがたい出来事とたくさんぶつかると思うんです。でもそういう出来事を一つ一つ乗り越えていければ韓国という国をきっと理解できると思うし韓国での生活も有意義なものとなものとなると思います。がんばって下さい。


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